9月16日、24日に冬から春にかけての野菜の種まきの第二弾を行いました。
ほとんどが適温が20°Cの葉もの野菜です。
お彼岸を過ぎ、これから温度が下がっていきます。
ほうれん草などは、雪をかぶると甘くなります。
寒くなってからも長く収穫できるように、何度かにわけて蒔くものもあります。
16日に蒔いた種は3日後には発芽しました。
24日はこのくらい大きくなっていました。
9月1日、ダイコン、白菜、キャベツ、タマネギ、ネギの種をまきました。

ほとんどが発芽適温が25°Cのものですが、仙台市はお盆以降雨が続いて、例年より気温が低い日が続いていたため、すでに夏はおわり、すっかり秋になってしまったようで、気温も25°Cを下回る日々でした。
種をまくタイミングは、早すぎても(暑すぎても)遅すぎても(寒くなりすぎても)ちゃんと育たないので、雨で作業できないと焦ってきます。
プロの方は苗を別に育てて移植しますが、畑に直まきして育ててみたいと思います。
白菜は苗をいただいたので、直まきと移植と両方育てます。

そして種はどれも3日〜5日で芽をだしました。
スケッチは9月14日のものです。
8月29日(土)のスープの日は金山赤かぼちゃのクリームスープでした。
金山赤かぼちゃは奥会津金山町でつくられている皮がオレンジ色のかぼちゃです。
実はほくほくして普通のかぼちゃより甘みが強いのが特徴です。
水で煮たかぼちゃに(ほくほくだから水分がなくなってしまうそう)牛乳とクリームを足し、最後に香りづけにポートワインをたらしただけのスープなのに、とても濃厚で複雑な味です。
食べながら、かぼちゃ以外に何か入っているようだね、とお話していましたが、かぼちゃだけ!びっくりです。
秋の気配を感じながら、久しぶりに温かいスープの日でした。
佐藤シェフの今月のコラム5
「きらいな食べもの」
子どもをもつ親はだれでも、お子さんの食べものの好き嫌いに悩んだことがあるのではないでしょうか。親としては何でも食べて欲しい、栄養のあるものを食べて欲しいと願いますね。
わたしは二人の娘を持つ父ですが、必ずしも嫌いなものをたべられるようにならないといけないとは思いません。料理人をしていると、お客様が食べられないという理由には、嫌いだけではなくアレルギーや宗教上の問題などもあります。嫌いには、においや食感が好きではないという嫌いと、食わず嫌いがありますが、それだけでなく、10人の親がいたらそれぞれに違った考えがあるために、子どもの好き嫌いの理由は一概にはいえず、いろいろな背景があるようにも思います。さらに、わたしの時代には、嫌いなものは鼻をつまんででも食べろという親のしつけがありましたが、今はそういう時代でもなくなってきているようです。
職業柄、常に食事をともにできないわたしが娘たちに心がけているのは、外食などしたときに自分の食べられる量を頼み、それを残さないこと、ということです。それは料理や食材を作ってくれた人のことを考えることや、世界の中には食べることができない人達がいるということを学んで欲しいからです。それから、もしその中にどうしても嫌いなものがあったとしたら、1つだけは食べてみようと言います。例えば、同じ食材でも食べるお店や料理の仕方によって全く違ったものになっていて、家とはどう違うのかというのも体験してもらいたいからです。大人になると味覚は少しずつ変わってきますから、ほんの少しずつでも五感で感じていってほしいのです。
ご家庭によって食事の方針は本当に様々だと思いますが、いずれにしても子どもに食べさせるということは重責ですね。
お盆がすぎ、だいぶ涼しくなってきました。
気温が高いうちに、ぼかしをつくります。
ぼかしとは米ぬかや油かすなどの有機質肥料を微生物で発酵させた緩効性肥料です。
生ゴミで堆肥をつくるときにも発酵のもととして使われ、今はホームセンターなどで手軽に手に入ります。
今年アトリエの畑の夏野菜にも大活躍してくれました。
材料は米ぬか、菜種油かす、魚粉、というそれだけでも肥料として使えるもの、それから発酵のもととなる微生物としてヨモギを発酵させた液、微生物のえさとして黒糖を用意しました。

米ぬか、油かす、魚粉、黒糖を手でよくまぜます。
土遊びのようだけれど、米ぬかが土より軽くてふかふかなのでとてもいい感触です。
魚粉のにおいなのか独特の香りで、昔、祖母がたまごを売るために飼っていたにわとりのえさのにおいを思い出しました。
そこに水で薄めたヨモギの発酵液を少しずつ混ぜ、さらに手で混ぜます。
水が入るとしっとりとしてやっぱりとても気持ちいいし、面白いです。
混ぜ終わったら、蓋をして発酵するのを待ちます。
うまく発酵してくれますように。
人間も発酵食品は体によいけれど、畑もただの有機質肥料より発酵したものの方が良く効くのでしょうか?
発酵って、ただ条件を整えてあげるだけでほとんど人間の力ではどうしようもなく、ただ待つばかりです。